ここでは、Skagit Castの歴史について書いていこうと思ってます。
過去のFF雑誌、海外の雑誌、FML仲野さんへのヒアリング等から、Skagit Castの史実を体系化しました。
誰がきっかけを作り、誰が体系化し、どのように日本国内に入ってきたのかがわかると思います。
1980年代(前半)「Skagit Cast誕生前」
Skagit Castが誕生する米国西海岸のスカジットリバーでは、ジム・グリーン(後にfenwick、SAGEのロッドデザイナーになる)、ハリー・レミア、ボブ・ストローボル、アル・バー、マーロー・バンポスといった凄腕の釣り師達がシングルハンドロッドでスチールヘッドを狙う釣りを行っていました。 そして、まずは、ボブ・ストローボルとマーローバンポスがダブルハンド(オーバーヘッド)の釣りを始めます。 この頃、ヨーロッパでは、ダブルハンドのヨーロピアンスタイルのキャスティング方法が誕生し、ヨラン・アンダーソン達が新しいダブルハンドのスタイルを開発、米国でも噂になり始めます。
1980年代(半ば)「ダブルハンドの解釈」
スカジットリバーにおけるダブルハンドの可能性を感じていたジム・グリーンやハリー・レミア、ボブ・ストローベル、アル・バー等は、ヨーロッパでアンダーハンドキャストを確立しつつあったヨラン・アンダーソンにアクセスします。 当時SAGEのロッドデザイン部門に移籍していたジム・グリーンが作成したヨーロッパ向けのロッドを検証することを目的として、ヨランにコンタクト、ヨランが渡米することになります。 数日間の滞在だったようですが、ヨラン・アンダーソンが渡米した際にヨランのキャストを見て、スカジットリバーにおける自分達のダブルハンドを使った釣りの方向性が正しいことを認識したとのことでした。
1980年代(後半)「ダブルハンドとの出会い」
ハリーやボブがスカジットリバーでダブルハンドの釣りをし始めます。その時、まだエド・ワードは、シングルハンドでスチールヘッドの釣りを行なっており、エドがいつものようにスカジットリバーで釣りをしていると、「クラシック・バー」という有名ポイントでハリーやボブが何やら長いロッドを持ってキャスティングしていることを目撃します。 エドよりも年配のハリーやボブがシングルハンドのエドよりも楽に60〜70フィートの飛距離でキャスティングをしているのを目撃したエドは、「これはきっと自分がやっている釣り方よりも効率的でより良い方法に違いない」と確信し、彼らとコンタクトを取るようになります。 そして、記念すべき1987年の秋にエドがダブルハンドのロッドを購入することになります。エド自身は、スカジットリバーでフィッシングガイドを行っていたため、スカジットに釣りに来る主にヨーロッパからのダブルハンドの名手(客)から色々なことを学んだそうです。
1990年代「Skagit Castの誕生」
当時のスカジットリバーやその支流であるソークリバーは、シーズンの90%は濁りがある状態です。 濁りの中でスチールヘッドの釣りをするためには、フライを大きくすることが必要となります。 研究熱心だったエド・ワードは、フライ、キャスティング方法と次から次へと自由な発想で開発していきます。 フライを大きくするとそれを飛ばすためにヘッドの重量を上げる必要があります。ヘッドの重量が上がるとロッドパワーが必要になります。ロッドにパワーがあるとタッチ&ゴーのキャストでは、アンカーが外れ上手く飛ばない状況に陥ります。 そこでアンカーが外れないようにフライをしっかりと水に沈めてキャストする方法(サスティンドアンカー)が採用されます。 市販のシューティングヘッドの先端や後端を切断し、最適なヘッドを求めカスタマイズし、徐々に現在のSkagit Headの原型が出来上がっていきました。
2000年代(前半)「Skagit Castの体系化」
2000年代になるとSkagit Castはほぼ完成されていたようですが、メーカー側が、Skagit Castに関する商業的価値をまだ見い出していなかったこと、Skagit Master達がそれほど商業化を望んでいなかったこともあり、ひたすら腕を磨き、自身の顧客に対し、キャスティング方法を教えながら生計を立てていたようです。 米国やカナダにおけるフィッシングガイド業と比較し、当時は、釣りメーカーから貰えるフィーは僅かな額であり、釣りメーカーと一緒に新しいロッドやラインシステムを作ること自体に魅力を感じていなかったのだと思います。 YoutubeにRIOのスタッフ達がエド・ワードに対し、Skagit Castやラインシステムに関し、アドバイスを貰っている動画が残っていたのですが、動画を探したところ、既に削除されていたためか、見つかりませんでした。 ほぼ現在のイントルーダーの形が完成されたのもこの時期です。 また、仲野さんがエド・ワードからスカジットキャストの概念や哲学を学んだのもこの時期になります。
2000年代(後半)「Skagit Cast大ブレーク」
そしていよいよSkagit Castが全米でブームを引き起こすこととなります。 2009年に発売された「Skagit Master Vol1」は、アラスカウエストの中でもガイドをまとめる役割(トップガイド)であったエド・ワードのフューチャリングDVDとして販売されました。 そこでSkagit Castのキャスティング方法、イントルーダーのタイイング方法の全貌が明らかになります。 このDVDは、初版45000部というフライフィッシングDVDとしては異例の売れ行きとなりました。 ガイドシーズンが終わると腕を磨くため、スキーナ水系に行きスチールヘッドの釣りを楽しんでいたそうです。キャップ帽にフードを被り卓越した技術で黙々と釣りをする姿、そして獲物を狙う、危険をキャッチする眼光の鋭さから「ウルフ」と呼ばれ多くのスチールヘッダー達から尊敬されるようになります。 この時期のエド・ワードは、G・Loomisとのアドバイザリー契約を締結しており、DVD内では、スティーブ・レージェフ(ティムレージェフの弟)が作成したGLX 12’9” #6/7 Dregerロッドを使ってます。 ロッドに関してはG・Loomisの広報戦略があまり上手くいかなかったこと。Loomisの経営基盤が傾いたこと(後に日本のSHIMANOに買収)含めDVDほど大きな話題にはならなかったようです。 Double HandロッドにHardy Pefectのビンテージというスタイルは、当時、米国で大流行し、Hardy Perfect 3 7/8サイズのビンテージが市場からなくなり、中古市場で高騰するという事象も起こりました。
2010 年代(前半)「日本にSkagit Castが紹介される」
2008年くらいからエド・ワードやOPSTメンバーと構想を練っていた仲野さんは、エド・ワードからSkagit Castの概念や哲学を学び、日本で唯一Skagit Castを広めることに対して承諾を得ます。 エド・ワードの好きなロッドアクション、ライン(ヘッド)を理解していた仲野さんは、彼の好きなロッドアクションに近いBeulah社のロッドと代理店契約を締結し、Beulahのロッド開発やSkagit Head開発にも携わることとなります。 FML社はエド・ワードとアンバサダー契約を締結し、Beulahのロッドをプロデュースするようになります。 Beulah社のPlatinum Spey 12′ 6″ 4PC 6WTロッドはSkagit Castに最適な先端からややミドル部分にかけてバネのような弾力のあるロッドアクションとして、絶賛されました。 そして、2011年5月に日本にエド・ワードが初来日します。 渋谷サンスイでのイベント、札幌ドリーバーデンでのイベントを行いましたが、当時はまだ日本国内でSkagit Castの認知が低く、私自身もエド・ワードやジェリー・フレンチをサンスイ渋谷店で目撃したものの、彼らが何者かを知るのは1ヶ月先の話になります。
2010年代(半ば)「OPST始動」
2011年6月に「FlyFisher」、「FlyRodder」両誌にSkagit Castとイントルーダーが紹介され、Skagit Castの全貌が日本国内でも明らかになります。 2011年後半には、Skagit Castの最も重要なSkagit Head、Running Line、Tipから開発が始まります。 2013年には、OPSTからSkagit Cast関連ツール第一弾として、「OPST LAZAR LINE」が発売されます。 ここまでは、良かったのですが、ここからが苦難の連続だったようです。とにかくエド・ワードの拘りが凄く、試作品を作ってもなかなかGoが出ない状況だったようです。 Rod、Head、エド・ワードの好みを高い次元で把握した仲野さんは、自身が開発者兼日本代理店になっていたBeulah社と協業しながら、Skagit Cast用のロッドやSkagit Headの開発を行います。 さらには、タイイングツールの「OPST Shank Chuck」や「OPST Swing Hook」等様々なツールの開発を行っていくこととなります。
2010年代(後半)「OPST製品の展開」
次から次へのOPSTからSkagit Castに関わるタックルやツール類が販売されて行く中で開発に非常に苦慮されていたSkagit Headである「OPST Commando Head」と「OPST Commando Tip」が2015年に完成します。 さらに、OPSTロッドの開発も始まります。 順風満帆であったOPST製品ですが、この年は非常に大きな壁にぶつかります。「Jerry French」の脱退です。しかも開発中のプロトタイプロッドを全て持参し、他社で展開を図るという裏切りに合うことになります。 私が見ている中で恐らく仲野さんが最も苦慮された時期だと思います。一緒に釣りに行っていた時、OPSTの他のメンバーと「エド・ワード」のもとに行き、OPSTは、「エド・ワード」のSkagit Formuraを具現化するために、このまま開発を続け、エドも協力を継続してくれることを確認します。ブランクや、Headの設計は仲野さんも携わっており、エドの感触を最も知るキーマンでしたので、ロッドの素材を最新化し、さらに先進的なロッドにすべく開発を継続することとなります。 2017年11月には、最新素材「グラフェン」を使ったロッドの試作品を試すこととなります。Beulah Japan Limitedよりさらに軽量化され、新素材のおかげでバネのようなパワーも兼ね備えた究極のSkagit Rodになってました。 私自身は、もうこれほど完璧かつ異次元なロッドはないので、これですぐに製品化されるものだと思ってましたが、エド・ワードのGOが出るまでには、さらに時間を要することとなります。 エド・ワードのシグネチャーモデルであること、最新素材グラフェンを使っていること、ガイドも現在入手可能な素材の中で最高のものを作っていることを考えれば、定価は15万円以上の価格でも安いと思ってましたが、エド・ワードからの依頼は、「可能な限り多くの人が使ってくれる良心的な価格にして欲しい」だったそうです。
2020年代「OPSTロッド製品発表」
2019年10月、初期の開発から5年程の歳月を経てようやくOPSTからロッド「OPST Pure Skagit Rod」、「OPST Micro Skagit Rod」が発売されました。エド・ワードがSkagit Castを確立してから15年の時を経て、エド・ワードのSkagit Formuraを具現化したロッド、ライン、Tip、Tippetの全てのタックルが完成しました。 2010年代は、エド・ワードの母親の看病の中、スチールヘッドの釣りもできず、近くのバス釣りがメインになっていたようですが、それがスチールヘッド用の釣法であるSkagit Castをさらに発展させ、Micoro Skagitを具現化し、繊細な釣りから大物の釣りまでを楽しむことができ、ダブルハンドの裾野を大きく広げることになりました。 今後は、多くの人達の手により、さらに発展していくことになると思います。